3畳間ギャラリー

観る者の心をほっとさせる説得力がある

 「3畳間ギャラリー」。なんとも面白いネーミングだが、どこかでお聞きになったことがあるかもしれない。時々雑誌なんかに紹介されているからだ。
 名前の由来は、字の通り、玄関を入ってすぐ右側の3畳の間をギャラリースペースとして開放し、自分の作品を展示したり、絵本などを置いているところから来る。絵と文章からなる楽しいイラストが主で、観る者の心をほっとさせる説得力がある。
私は、人生訓みたいな文章を添えた色紙や絵は、だいたい、うさんくさいと思っているのだが、「3畳間」の主(ルビ・あるじ)である彼の作品には、それが感じられないのが不思議だ。
私が、うさんくさいと思う理由は、私自身が坊主だからという?おかしな理由なのだ。たしかに釈迦や宗祖は偉大だったに違いない。慈悲深く、人々が感動するような行動と教えを伝道したに違いない。しかも、飯のためではなく、法を説くために。
しかし、後の僧侶は、自分の言葉を発することなく、釈迦や宗祖を飯の種にしている場面が多くある。なにも仏教を批判しているわけではない。後の一部の僧侶の言動不一致を指摘しているのである。人前で立派なことを言っているが、私生活は無茶苦茶。それは、古今東西どこの世界にでもあることだろうし、とやかく言うことではないが、聖職といわれる宗教者や教師や警察官などは、世間の風当たりがきついのも確かだ。
最近では、官僚や政治家がやり玉にあげられているが、そろそろ「なんでもかんでもNPO」が批判される時期ではないかと秘かに思っている。
川柳「非営利と頭につけて金儲け」作者不詳
話を戻すと、人生訓のようなものを色紙に絵手紙風に描いて、世間の人気者になっている作家も多数いるわけで、そういう作品を観るとつい斜めに構える癖がついてしまった。「今日、身につけているものは1億円よ」とテレビで自慢する某さん。いったい何のための教え?という疑問の湧かない視聴者も視聴者だが。
3畳間ギャラリーの彼ら夫婦は、そんな私が斜めに構えない数少ない人材なのだ。そして、彼らの元には、入居当初から近所の子供たちが出入りし、恰好の遊び場と化している。
結婚する前に、2人でバイクにまたがって、町家倶楽部の事務所にやってきたのをよく覚えている。その時は、まだ町家倶楽部と名乗っていなかった時期で、ホームページを持っておらず、こつこつと入居希望者に一から説明し、大家さんや貸し物件に案内していた。
そのころからすると時間が経ったものだ。彼らには子供も出来、すっかり町内の一員としてとけ込んでしまっている。歩いてちょうどいい距離にある大家さん宅まで、毎月家賃を持参する時にも子供を連れて行くので、大家さんは、まるで自分の孫のように可愛がってくれる。
目と目が合うおつき合い。月に一度は、大家さんと借り手が会って、会話を交わす。そんなコミュニティーが西陣にはまだ残っている。