万葉粥


5感に訴える欲張りな催し



 妙蓮寺のいち市に出店していた古代米を使用したおはぎ屋さんから、ちょっとしたヒントをもらったのが、十一月。
彼からもらったヒントは、赤米を使った催しをしたらどうだということだった。この珍しい赤米が安価に手に入るチャンスを逃す手はない。そこで考えたのが、万葉粥の宴というわけだ。
赤米や紫米といえば、今のお米のルーツである陸米である。そのお米を味わう宴、お米のルーツを辿るようにアジア各地の音楽や舞踏をライブで演じてもらう。せっかくだから、古代米の権威である京都文教短期大学の安本教授に講義もしてもらおう。そんな欲張りな催しを毎月第三土曜日に妙蓮寺を会場に行うことを計画。
お膳四十客は妙蓮寺に伝わる江戸時代のものを使用。照明作家、藤原節・恵一夫妻の協力も得て、石庭や渡り廊下、コンサート会場の奥書院などにつる籠照明を設置してもらい、いわゆる、五感にうったえる催しを行ったのだ。
安本教授の快諾も得、すべては順調にいったが、一番の苦労は、毎月の出演者交渉とパブリシティーだった。つまり人集めである。せっかくアイデアを実施に移しても、民間の催しは、宣伝費がばかにならないからだ。なにも儲けようとは思わないが、赤字を出してまでできないのが民間だ。そこが行政サイドとは大きく違う点である。だから催しの棲み分けが必要だと思う。競合するような催しは、極力民間にまかせるのが妥当だろう。あるいは、民間を支援して当然だとも思う。
出演者交渉も後から考えたら、綱渡りだった。突然、電話をかけて出演依頼をしたりもした。しかし、催しの性格を理解してくれると、安価なギャランティーで快諾してくれるので、とても助かった。
毎回出演者が異なるということは、音楽のジャンルが異なるということで、それに応じて観客も異なる。そういう意味では、固定客は少ないが、いろんな人がお寺に出入りするという波及効果を生むことになる。
古代米に興味のある人や音楽に興味のある人、お寺の雰囲気が好きな人や、通りがかりの人、ラジオや新聞、あるいは雑誌で聴いたり見たりした人。日本の音楽からアジア各地の音楽、はてはアフリカやアメリカの音楽まで導入し、宴は三十六回、三年六ヶ月も続いたのである。
 毎回、お手伝い願ったお寺の役員さん、そしてなによりもボランティアで勉強に来ていた大学生たちや西陣に移り住んだアーティストたち。彼らの協力と、妙蓮寺という共催がなければ、人件費や会場費の赤字で短期に終了していたにちがいない。
 三年半も続けられた理由の一つは、わたしがアジア系音楽のライブや若者の舞踏やパフォーマンスが好きだったからである。彼らに発表の場を提供できたことは、とてもよかったのではないかと思っているし、複合的な催しを行うことによって知らなかった世界を聴衆に見せる機会をつくったことに意味があるのではないかと思っている。
例えばの話、尺八だけのコンサートなら、きっと来なかった人が、古代米のお膳がセットになっているので来たということだってありえるわけで、そこで尺八の魅力に目覚めることだってありえるのだ。