手作り市・フリーマーケット「西陣楽市座桃山文化村」


人(人材)さえいればお金なくても



 わたしは、手作り作家であるうちだ内田のぶこ信子さんの協力を得て、てんじん天神さん、こうぼう弘法さん、ひゃくまんべん百万遍さんなどを回り、手作り作家や面白いお店を回った。妙蓮寺の万灯会に同時開催する予定のいち市への出店依頼が目的だ。七月、八月の暑い頃にあちこち回ったのを思い出す。結果は大成功で、一回限りの開催が、毎月行ってほしいという、出店者やお客さんからの両方の要望によって、毎月行われることとなった。毎月行うと簡単にいっても、実際は、定着するまで、何ヶ月もかかった。世間の認知度は低かったので、毎月、新聞に折り込みチラシを挟み込んだりして、出店費は、そのほとんどを宣伝費に費やしたものだ。そうして、雨が降らないように前日から祈り、朝早くから場所割り、受付など、振り返れば、立ち上げ時の苦労は大変だった。
出店してくれたお店に対しては、他の市までお礼に行く。そこでまた新しい人や面白い人を誘ってくる。それにほぼ一日費やしているのだが、困ったことに周囲から見ると、市を回って遊んでいるようにしか見えないようだ。
ここでも、最大の宣伝効果は、マスコミである。いかにしていち市の存在をアピールするか、日夜研鑽していたといっても過言ではない。
しかし、空き町家や空き工場の有効利用といい、地域に開かれた寺院の存在といい、縮小した地場産業をうめるように新しいコミュニティーが再構築されてゆくことは、全国の「まちづくり団体」が目指そうとしているもの、目標に掲げていること、そのものだったのである。いつの間にか、日本各地で社会的ニーズとなっているコミュニティーの再構築や町おこしの好事例として紹介されるようになった。
他地域で、わたしたちの事例を説明すると、まるで自慢話に聞こえてしまうらしい。それは、楽しいからやっているということを強調するからだが、実際、次々と紹介事例が増え、内容が充実しているのは事実だ。また、そこに行政や企業の補助金はほとんどないので、膨大な予算をつぎ込んでいる各地の「まちづくり団体」や「まちづくり事業」に対して、「お金がなくても、これだけのことができるんです」ということを、ついアピールしてしまうからだ。
それが知らず知らずのうちに、行政や補助金依存体質の団体や財団法人、外郭団体への疑問となってしまうのである。あれだけの人件費や予算が獲得できれば、なんでもできるのではないか、何故、何もできないのだろう、誰の為にやっているのか、と不思議に思ってしまうことがしばしばある。
 何事も実りあるものにするには、良い種と良い畑が必要で、そこにバランスのとれた肥料と環境が必要だ。そしてなによりも育てる努力をする「人」の存在を忘れてはならない。うまくいかない場合は、このどれかが足りないということを謙虚に振り返る姿勢が大切だ。もっとも「人」さえいれば、種も畑も肥料も環境も選んでくれるわけだから、不十分なら不十分なりに、育てることもできる。そういう意味では、人材第一なのかもしれない。